The Environment

Andalusiaの環境

アンダルシアは古代の遺産を継承する地方であり、広範囲にわたって文化的な歴史があります。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教3つの文化が共存しており、その起源は何千年も前にまで遡ることができます。大昔の裕福な文明が定着し、タルテシアン族、イベリア族、フェニキア族、ケルト族、カルタゴ族、バンダル族(ゲルマンの一種族.)、ビザンチン族、アラブ族、これら全ての人々がこの土地に居住跡を残しました。

またイスラム教徒達は灌漑設備を導入することで、荒地を沃地に変えていきました。アンダルシアは中央部とおなじく「乾燥スペイン」と称せられる中、この平野部・山間部の周辺の湿地帯にたくさんの果樹園、野菜畑、米栽培を広めたのも彼らであります。アンダルシアは他に並ぶものがない無比の文化的、人間的、そして経済的にも裕福で優雅である事に誇りを感じています。

Jaen

ハエンはアンダルシアとその周りのイベリア半島との間にある橋のような役割をしている県です。この孤立した地域(包領)には長い歴史が刻まれています。古代ローマ帝国からイスラム帝国時代、ハエンは商いと戦闘において鍵となる街でした。ローマ人が築き800年近くアラブ勢力に支配され栄えてきた街、ウベダとバエサ。この2つの街は、現在ユネスコによって人類遺産として表明されました。

ユダヤ教徒が居住したこともあり、イスラム支配下においても再征服後のキリスト教支配下においても、経済的そして文化的に重要な役割を果たしました。その長い歴史の中で、2世紀にわたり両教徒の戦いの最前線であった街には、数多くの要塞と華やかな宮殿や城が見られるのは、これらの歴史にあります。

このハエン県について最も注目をすべき価値のあることといえば、その広大な自然の景観です。多彩な山岳があり、田園地帯、山々、丘陵地帯、スペインの保護地域でもある美しい4つの自然公園があります。初めて訪れた人々に鮮やかな印象を焼きつけるその風景には、果てしなく続く広漠たる耕作地がそびえたっています。広大な土地に海のように続くオリーブの樹は、その地に住む人々の生命の行く手を導きました。文化や経済的活動は、何らかの形で直接的または間接的にオリーブの樹やオイルと繋がっています。これは、ハエンの地は世界で初めての"黄金の液体"、オリーブオイルの生産者であるのもこの理由にあります。


Canena

カネナは住人が2,132人ととても小さな村です。CN-322という名の道路では136km地点にあり、県都ハエンから東へ50km、ウベダとバエサから北へ9km、リナレスから南東へ17kmの位置にあります。この地理的要因から、プエルタ・デ・ラ・ロマ(小さい丘への扉)といわれ、この丘で育つ良質なオリーブの樹にはとても伝統がある地区で知られています。

カネナの名は、イスラムの征服時代、アル・アンダルス(イスラム支配下のスペイン)へ侵入してきた種族の一つであるアラブ族、バヌ・キニナに由来します。街はその他の地域と同じ時期、1226年頃、レコンキスタ(再征服運動)の占領地となりフェルナンド3世の手に落ちました。

15世紀の終わりにサンチョ・デ・ベナヴィデスが、レコンキスタ(再征服運動)を主導した三大騎士団の一つであるカラトラバ戦闘騎士団との紛争の最中、カネナの支配権を奪いました。隣街のバエサ民からの不平や、カトリックであった国王が、異なる貴族間の奮闘に終止符をうたせようと、その領域内で新しく要塞を建設することを禁じていたのにもかかわらず、要塞としてカネナ城の建設が始められました。

1538年に、ロスコボスのフランシスコ王(チャールス5世の秘書であった)がカネナ村を買い取り、隣町ウベダにもみられるルネッサンス様式の発起人となりました。カネナ村は広範囲にわたる彼の領土の一つとなり、死後は彼の妻によって統治され、カラマサ伯爵の地として子孫に受け継がれました。カネナには、この偉大なるルネッサンス様式の発起人となった王が指揮した建築物の中で、もっともすばらしい建物が後世に残されました。王のデザインと指揮により、ルネッサンス建築家 アンドレ・デ・バンデルビラの手によって要塞からすばらしい壮大な宮殿へと形を変えたのです。